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    <title>コラム</title>
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    <title>【第7回】プロジェクト評価の1,2,3第3回「状況に埋め込まれた評価」に重点を置いた評価</title>
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    <published>2012-05-01T14:11:43Z</published>
    <updated>2012-05-05T15:22:32Z</updated>

    <summary>今回は「状況に埋め込まれた評価」の事例をご紹介したいと思います。状況に埋め込まれ...</summary>
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        <![CDATA[<p class="ColumnText">今回は「状況に埋め込まれた評価」の事例をご紹介したいと思います。状況に埋め込まれた評価は、アートプロジェクトが行われる前に評価軸を設定しておくのではなく、プロジェクトの現場においてその実践が持つ意味や機能を明らかすることを通して、評価軸自体を探っていくという特徴を持ちます。そのため、現場の人々の実践的信念（何に価値を見い出し、何を目指すか）や、現場で起きている現象そのもの、それらに対する実践者自身の意味づけを探るのに適した、エスノグラフィーという手法が多用されます。今回は、幼児創作教室「ぐるぐるミックス」を例に、エスノグラフィーによる状況に埋め込まれた評価について見ていきます。</p>

<h3>ぐるぐるミックスと評価の経緯</h3>
<p class="ColumnText">ぐるぐるミックスは、こどもとアーティストとまちの大人が、くらしのそばから「あそび」をうみだす創作教室です（谷中のおかってウェブサイト, 2011）。2011年度は、現代美術家きむらとしろうじんじん（以下、じんじん氏）を講師として、さらに、会場となる東京都台東区谷中のまちの方々をゲストとして迎え、ゲストの生活や仕事にちなんだ創作あそびを、4〜6歳の幼児とともに行いました（週1回×３週×6ヶ月＝合計18回）。</p>

<h3>エスノグラフィーの手順</h3>

<h2>　データ収集</h2><p class="ColumnText">ぐるぐるミックスは、スタッフのミーティング、準備、本番、反省会というサイクルから成っています。筆者は、スタッフとしてそれらに参加し、そこでなされた会話、起きた出来事を、メモや写真で記録し、配付資料を収集しました（参与観察）。不明な点や疑問があれば、インタビューによって追加情報を求めます。その際、雑談の流れで情報を引き出すインフォーマルインタビューがよく用いられます。こうした手法を用いるのは、観察者が現場に入り込むことによって、自然な（実験的でない、調査されているという印象を相手に与えない）状況を作り出すためです。</p>

<h2>フィールドノーツ作成</h2><p class="ColumnText">こうして集めた情報をもとに、フィールドノーツと呼ばれる日記を書きます。このとき、自分の行動も含め、見聞きした出来事（データ）をできるだけ客観的な文章で記述します。客観的な文章というのは、個人的な印象ではなくて、自分以外の人が同じ状況を見たときにも同じように記述するだろうと思われる言葉という意味です。一方で、個人的な印象（特に、モヤモヤする点、引っかかる点）もまた、問いを深めていく上で重要なヒントになることがあります。それらは、データとは別に、観察者コメントとして記述しておきます。日記と一緒に配付資料も保存します。</p>

<h2>概念化</h2><p class="ColumnText">ノーツに記録される情報は、誰が何と言ったとか誰が何をしたという、非常に具体的な情報です。ここから、彼らの実践的信念や意味付け、現場で起きていることのパターンやカテゴリなどを見つけるためには、ノーツの情報を抽象化する必要があります。そこで、複数のノーツを突き合わせて見返し、それらを要約するような概念を作っていきます（先行研究から引用する。新しい概念を作る）。
　エスノグラフィーの特徴は、データ収集、フィールドノーツ作成、概念化が並行して行われることです。手元のノーツに基づいて導きだされた仮説的概念が的を得ているかを次のデータ収集によって確かめ、さらに仮説を深めたり概念を精緻化したりしていきます。こうした点が、仮説生成→データ収集→仮説検証へと直線的に流れる評価の在り方とは異なる点であり、仮説検証から仮説生成へ戻る矢印を加えた円環的な評価のプロセスと言えるでしょう。</p>

<h2>現場に還元する</h2><p class="ColumnText">以上のプロセスを経て筆者が見出したぐるぐるミックスの実践的信念は、「個人として出会う場としての創作教室」でした。それは、ミーティングにおいて様々に表現を変えて語られたことであり（例えば、「"子ども"というコレ（クォーテーションマーク）が外れて誰々ちゃんになっていくことが大事」「ひとつの基準を決めるより、その人なりの判断で接してください」）、プログラムづくりにおいても重視されたことでした（例えば、演奏技術を教えるのではなく、生き生きと打楽器を叩くお姉さんを子どもの前に示すことに腐心する）。また、各回の現場では、スタッフはプログラム全体の進行を気にしながらも、子ども個々人の興味にできるだけ寄り添おうとしていました。</p>
<p class="ColumnText">　筆者は、こうした発見を現場に伝えるとともに、反省会のやり方に関する提案をしました。それは、スタッフと子どもの間で起きた具体的なエピソードを挙げて、その時、スタッフ自身がその子の興味をどのように見取り、どのような想いや期待を持って、どのように働きかけたか、その働きかけにその子はどう反応したかを共有するというやり方です。この提案によって、最初は事務的な報告や反省に偏りがちだった会が、スタッフ個人の視点から子ども個人の魅力が語られるようになり、具体的なエピソードに基づいてプログラム内容やスタッフワークを吟味する方向へと変わっていきました。そして、反省会の変化に伴って、スタッフそれぞれが、子ども一人一人に寄り添って遊びを広げることと、プログラム全体の流れへ子どもを誘導していくことのバランスについて、意識して行動するようになっていきました。</p>

<h3>まとめ</h3>
<p class="ColumnText">評価の目的は、現状を把握し、それに伴づいて、実践を改善するアイデアを提案することです。それは、前回紹介した理想の評価にも、今回紹介した状況に埋め込まれた評価にも当てはまりますが、特に後者は、現場の人々の言動に現れる無自覚な実践的信念や、現場で起きている現象やその意味を、概念化し自覚させるという特徴を持っています。こうした営みについて、杉万（2009）は、「科学は言説空間を豊かにする営みであり、人間科学は当事者と研究者が共同的実践の中から知識を紡ぎだす営みである」と述べています。つまり、状況に埋め込まれた評価は、現場の人々が自身の実践について語る言葉を獲得し、自身の力で実践を批判的に捉え、改善していけるようになるのを支援するという、エンパワメントとしての効果も持っていると言えるでしょう。</p>

<h3>参考文献</h3>
<p class="ColumnText">谷中のおかってウェブサイト　http://okatte.info/guruyami2010/mix/
杉万俊夫. (2009). 人間科学における主観的言説の重要性. 集団力学, 26, 1-13.</p>
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    <title>【第６回】プロジェクト評価の1、2、3第2回「理想の評価」と「総括的評価」に重点を置いた評価</title>
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    <published>2012-01-22T05:49:32Z</published>
    <updated>2012-01-27T06:02:31Z</updated>

    <summary>　プロジェクト評価には、評価をどのように捉えるかによって「理想の評価」と「状況に...</summary>
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        <![CDATA[<p class="ColumnText">　プロジェクト評価には、評価をどのように捉えるかによって「理想の評価」と「状況に埋め込まれた評価」という方針があること、また、プロジェクトのどの段階で行うかによって「診断的評価」「形成的評価」「総括的評価」があることを確認しました。今回は、その中でも、「理想の評価」と「総括的評価」に重点を置いた評価について、「学生メディアセンターなないろチャンネル（以下、ななチャン）」<sup><a href="#1">*1</a></sup>の2010年度の活動評価を例に、ご紹介したいと思います。</p>

<h3>「ななチャン」と評価の経緯</h3>
<p class="ColumnText">　「ななチャン」は、学生や若者が、それぞれの視点や特技を活かし、多彩なメディアを駆使して、様々な地域や分野と関わりながら学び合う場を作ることを目指す活動です。2010年度は、各地の文化活動の取材、交流会、イベント企画を3本柱に活動してきました<sup><a href="2">*2</a></sup>。筆者は、コアスタッフのひとりとして関わっており、年度末の評価を担当することとなりました。</p>
  
<h3>評価の手順</h3>
<strong>  1． 方針を決める</strong>
<p class="ColumnText">　まず、何のために何を評価するのかについてコアスタッフの考えをヒアリングしました。すると「ななチャンの活動をみんなはどう思っているのだろう」「地域や分野をまたぐ学びの場を作るという目標がどれだけ達成できたのか知りたい」などの声が聞かれました。そこで、一年間の活動の総括として、ななチャンに対するイメージと、若者の学びに関わる成果を明らかにするという方針を立てました。ヒアリングの結果、コアスタッフの間では、両者に関する目標がある程度明確になってきていることが分かったため、それらがどれだけ達成されたかを評価することにしました。</p>
<strong>  2． 質問項目を作る</strong>
<p class="ColumnText">　回答者属性　ななチャンの活動のうち何にどのように関わったかについて選択式で回答する項目を設けました。また、年齢、性別、所属などを問う項目も設けました。</p>
<p class="ColumnText">　ななチャンのイメージ　形容詞対を5組（面白い―つまらない、必要だ―不要だ、活気がある―活気がない、斬新だ―ありきたりだ、役立つ―役立たない）作り、それぞれにつき4段階で評定する項目を設けました。例えば、「面白い―つまらない」ならば、「面白い・やや面白い・ややつまらない・つまらない」の中から、回答者がななチャンに対して持っているイメージに最も近いものを選ぶといった具合です。</p>
<p class="ColumnText">　若者の学びに関わる成果　ななチャンの活動に関わったことでどのような効果が感じられたかを問う複数選択可の6項目（参加すること自体を楽しめた、自分のスキルを活かせた、やりたいことへと踏み出せた、作品制作や研究の場になった、魅力的な人と出会えた、地域とつながれた）を設けました。</p>
<strong>  3． アンケートを実施する</strong>
<p class="ColumnText">　インターネット上にアンケートフォームを作成し、メール等で回答を呼びかけ、107名から回答を得ました。</p>
<strong>  4． 分析する</strong>
<p>　まず、各項目について、最もネガティブな評価を1点、最もポジティブな評価を4点として点数化し、何人の人がどれを選んでいるかを集計しました<sup><a href="#3">*3</a></sup>（図1）。その結果、ななチャンのイメージに関しては、どの形容詞対においても90%以上の人が3〜4点を選択していました。また、斬新さをのぞいた他の4組については、50%以上の人が4点を選択していました。</p>
  
<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ishihata2-1.jpg" src="http://artists-children.net/2012/01/22/column/images/ishihata2-1.jpg" width="600" height="362" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p>図1 ななチャンのイメージ</p>
</span>

<p class="ColumnText">　若者の学びに関しては（図2）、約70%の人が、参加すること自体を楽しんでいたこと、魅力的な人に出会えたと感じていたことが示されました。他の効果を感じている人は10〜30%程度でしたが、「自分のスキルを活かせた」「やりたいことへと踏み出せた」「作品制作や研究の場になった」のいずれか1つ以上を感じた人は40%で、若者の学びの場としてある程度は機能していたことがうかがえました。</p>

<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ishihata2-2.jpg" src="http://artists-children.net/2012/01/22/column/images/ishihata2-2.jpg" width="600" height="462" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p>図2 学びに関する効果（各項目を選択した人の割合）</p>
</span>
 
<p class="ColumnText">　続いて、各項目間の関連を分析しました。具体的には、どのような関わり方をした人がどのようなイメージを持つ傾向にあるのか、どのような関わり方をした人がどのような成果を感じる傾向にあるのかを、検定<sup><a href="#4">*4</a></sup>と呼ばれる方法で分析しました。その結果、Ustreamで配信された番組を見たことのある人は、そうでない人よりも、「役立つ」と感じていること、Ustremaを使った取材、活動記録のアーカイブ、企画運営に関わった人は、そうでない人よりも、「学びにつながった」と感じていること、ななチャンが企画した展覧会やイベントに出展・出演した人は、そうでない人よりも「自分のスキルを活かせた」と感じていること、などが明らかになりました。</p>
<strong>  5．    結果を還元する</strong>
<p class="ColumnText">　このアンケート調査の結果の一部は、小冊子にまとめ、関係者やななチャンの活動に関心を持ってくれた方などに配付しました。また冊子と同じデータをウェブで公開し、回答者にフィードバックしました。</p>
  
<h3>まとめ</h3>
<p class="ColumnText">　一般的に、「理想の評価」に属するプロジェクト評価は、以上のような手順を踏みます。先に調査することを明確にし、質問項目を整理して、それにそって調査を実施するという点が特徴です。さらに、この事例の場合は、「総括的評価」であり、実践者の目標もある程度明確であったため、その達成度を測定できるようにしました。</p>
<p class="ColumnText">　一方で、このような調査は、恣意的な印象も与えかねません。例えば、「ななチャンに対するイメージ」は上記5つ以外にもあるはずですし、「学生の学びに関する成果」も上記6つ以外にもあるはずです。そのため、実際には、自由記述の項目を作ったり、選択式の質問の場合は「その他（具体的に書いてください）」という選択肢を設けたりもしています。ただし、「その他」はあまり選ばれないことや、自由記述が多いと回答者に負担がかかり、場合によってはアンケートの回収率が落ちる可能性もあることに注意すべきです。そのため、明らかにしたい範囲を少数で万遍なくカバーできる項目を作ること、明らかにしたいことに優先順位をつけて些末な項目は思い切って除外することなどが重要です。</p>
<p class="ColumnText">　また、「ななチャン」の評価の特徴としては、項目ごとの単純集計だけでなく、項目間の関連を統計的に分析したことが挙げられます。こうすることによって、データのおおよその傾向をつかむことができます。こうした手続きを踏むことで、相関関係や因果関係をある程度推定することができます。精度の高い因果モデルを作ることができれば、その活動を改善する際や、似たような別の活動を行う際に役立つ情報となります。そのためには、どのような因果モデルを想定し、どのような手法で分析するのかを考えて、項目を作ることが重要です。</p>
<p class="ColumnText">  今回は、実際の事例を基に、「理想の評価」と「総括的評価」に重点を置いた評価の手順と特徴を説明しました。次回は、「状況に埋め込まれた評価」の事例をご紹介します。</p>]]>
        
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    <title>【第5回】プロジェクト評価の1、2、3第1回　評価とは何か？</title>
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    <published>2011-10-11T10:39:12Z</published>
    <updated>2011-10-11T12:29:48Z</updated>

    <summary>評価とは？  最近、プロジェクト評価の話題をよく耳にします。現場の方々は、自分た...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[<h3>評価とは？</h3>
 <p class="ColumnText">最近、プロジェクト評価の話題をよく耳にします。現場の方々は、自分たちのプロジェクトの状況や成果を説明するための方法を必要としています。こうした状況に対して、「汎用的な評価基準や指標を作ろう」という意見もあれば、「評価なんてしたら、プロジェクトの良さが矮小化される」という意見もあります。私は、どちらの意見もわからなくはないのですが、どちらにも100％賛同することはできません。</p>

 <p class="ColumnText">あらためて、評価とは何でしょうか。評価には2種類あります。あらかじめ想定した理想がどれだけ達成されたかを問う「理想の評価」と、現場に持ち込まれた変革がその場でどのように機能したかを問う「状況に埋め込まれた評価」です。そして、先ほどの2つの意見は、相容れないようですが、どちらも「理想の評価」観に基づくものです。</p>

 <p class="ColumnText">つまり、「汎用的な評価基準や指標を」という意見は、物事が動き出す（変革が持ち込まれる）前に理想状態を想定しておける、しかも、それはどのプロジェクトにおいても同じだという前提に立っています。一方、「良さが矮小化される」という意見は、想定外のことが起きるのも含めてアートプロジェクトの面白さだし、それはプロジェクトによって異なると考えおり、そうすると、共通の基準や指標をあらかじめ想定しておくような評価はなじまないと言っているのです。しかし、どちらの意見も「状況に埋め込まれた評価」のことを忘れています。</p>

 <p class="ColumnText">それでは評価とは何かというと、「理想の評価」にせよ「状況に埋め込まれた評価」にせよ、現場で何が起きたのかを言葉や数値などで表してみること（記述、測定）、そして、その意味や因果関係を考えたり（説明、解釈）、将来の可能性や対策を考えたりすること（予測、制御）、であると私は考えています。そして、よりよいプロジェクト評価を実施するために必要なことは、現場の人たちが、自分たちのプロジェクトの価値観や目標や状況に合わせて、評価の手法を選択できるようになることだと思います。そのために、社会科学の専門家（の卵）である私は、評価のためのスキルや思考のフレームや、それらを身につけるためのツールを提供していきたいと思っています。</p>


<h3>いつ何を評価するの？</h3>
<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="valuation_chart.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/valuation_chart.jpg" width="660" height="495" class="mt-image-none" style="" /></span>
</span>

 <p class="ColumnText" style="clear: both;">
何を評価するのかを考えるために、アートプロジェクトの段階を考えてみましょう。まず、そのプロジェクトを実施する場、あるいは、そこに関わる人々の事前の準備状態（レディネス）があります。それに対して、資金や人材や時間などの投資を行って、現場に変革を持ち込みます（インプット）。次に、様々な試行錯誤や連携などを経て（プロセス）、展示やワークショップなどの成果物（アウトプット）が出来上がります。すると、一連のプロジェクトを実施したことにより、何からの成果（アウトカム）が生じます。さらには、その場や関係者に限らず、社会に対してより長期的で広範な影響（インパクト）を与える可能性があります。何を評価するかという問題は、言い換えると、アートプロジェクトのどの段階を評価するかという問題でもあるのです。</p>

<p class="ColumnText">レディネスの評価は診断的評価と呼ばれます。プロジェクトが始まる前に、その地域や組織がどのような状況なのか、どのような資源を持っていて、逆にどのような課題を抱えているのかを明らかにします。この評価に基づいて、プロジェクトの中身を計画し、想定できる成果はあらかじめ想定しておきます。</p>

<p class="ColumnText">プロセスの評価は形成的評価と呼ばれます。現場に持ち込まれた変革が、どのように機能しているのか、それは自分たちのプロジェクトにとってどういう意味を持っているのか（望ましいことなのか、克服すべき課題なのか、など）を明らかにします。</p>

<p class="ColumnText">アウトカムやインパクトの評価は総括的評価と呼ばれます。そのプロジェクトが、どのような成果（経済的、社会的、文化的成果など）をどのくらい挙げたのか、その成果はどこまで波及し、いつまで持続したのか、などを明らかにします。あらかじめ想定しておいた目標値があれば、それがどれだけ達成されたかについても明らかにします。</p>

<p class="ColumnText">このように、プロジェクト評価は、プロジェクト進行と並行して行われるものであり、時にはそのプロジェクトのこれからを考えるための材料に、また時には、そのプロジェクトの意義を社会に発信するための材料になるものだといえます。</p>

<p class="ColumnText">プロジェクト評価の1、2、3の第2回では、どのように評価するか、その具体的な方法について、実際の事例をもとに紹介していきます。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>【第4回】コーディネーターって、何してるの？</title>
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    <published>2011-08-25T04:21:16Z</published>
    <updated>2011-09-08T07:17:28Z</updated>

    <summary>  最近、「コーディネーターって、どんな仕事なんですか？」と聞かれることが、増え...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[<br />
 <p class="ColumnText">最近、「コーディネーターって、どんな仕事なんですか？」と聞かれることが、増えてきました。私自身は、子どもを対象としたワークショップのコーディネーターとして、アーティスト、学校、企業、行政、地域の方をつなぐ役割をしています。普段は表から見えない仕事ゆえに目立つことはありませんが、ワークショップの醍醐味を誰よりも享受しているひとりです。今回は、私がどのようにコーディネートの仕事をすすめているか、ご紹介したいと思います。</p>

<h3>コーディネーター、みつける。</h3>
<p class="ColumnText">企画のはじまりは、まず「みつける」ことから。それはアーティストがふと発した疑問だったり、子どもの遊び方だったり、先生がぽつりと漏らしたつぶやきだったり。そんな小さな「声」から、企画は生まれます。大切なのは、その小さな「声」を聞き漏らさず、「えっ！それって、どういうこと？」と反応し、深めていくことです。</p>

<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="idegami_01.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/idegami_01.jpg" width="640" height="483" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p>現職教員を交えた定期勉強会を開催し、今日の教育現場でのニーズを聞き取ります。</p>
</span>

<h3 style="clear: both;">コーディネーター、悩む。</h3>
<p class="ColumnText">まだ、誰にも届かない小さな「声」。まずはその「声」がどんな背景から生まれたのかをリサーチし、いろんな人の意見を聞いて練りあげ、企画のコンセプトを決めます。これが企画の「種」なります。ただし、「種」のままでは多くの人の共感を得ることは難しく、社会に広げていけません。そこで、教育関係者や行政、企業、地域の方などに対して、この「種」を育てればどんな「花」が咲くのか、そのためにはどんなモノや環境、資金が必要なのか、分かりやすく伝える資料を作ります。そのときに大事なのは、伝えたい相手にあわせて表現方法を変えること。学校、企業、行政、地域の方...それぞれ違ったフィールドの方が理解しやすく、やってみたいと思える資料を揃え、時間をかけてコミュニケーションをとりながら話をすすめます。</p>

<h3>コーディネーター、走る。</h3>
<p class="ColumnText">協力してもらえる人や環境が整ったら、いよいよ具体的な準備に入ります。ここでは、ひたすら実務作業。電話をかけ、電卓を打ち、チラシをつくり、安全対策をし、スタッフを集めて役割分担をします。とにかく、ワークショップに関わるすべての人が気持ちよく、そして当日がスムーズに運営できるように最善を尽くします。小さい仕事の集積が大きな意味を持つ期間です。そして、この期間が最もトラブルが起こりやすく物理的にもハードなため、無事に乗り切るためには気力と体力が欠かせません。</p>

<h3>コーディネーター、見つめる。</h3>
<p class="ColumnText">いよいよ迎えたワークショップ当日。天候、子どもの当日の健康状態、準備や段取りの最終チェック、見学者や取材への対応。そのひととおりを終え、ワークショップがスタートしたら・・・コーディネーターはただひたすら、ワークショップを見守ります。途中で想定外のことが起こっても、よほど危険なことが発生しない限り手出ししません。この時に大事なのは、子どもたちの反応や表情の変化、ワークショップの雰囲気を集中して見つめることです。そして、どんなことが起こったかをしっかり記憶しておきます。</p>

<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="idegami_02.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/idegami_02.jpg" width="640" height="423" class="mt-image-none" style="" /></span>
<p>子どもたちに、どんな変化があるか見つめます。</p>
</span>
<h3 style="clear: both;">コーディネーター、進む</h3>
<p class="ColumnText">ワークショップが終わった後は、すぐに子どもたちや関係者の感想を聞きます。「楽しかった！」「すごかった！」という感想も嬉しいですが、「よく分からなかった...」という困惑の声もまた、大事なものです。それらの声は反省会の席で話題に上げるようにします。興味深いのは、ワークショップが終了した直後より、１～２週間たってからの感想です。ワークショップが子どもたちに与える影響は、しばしば時間がたってから表れます。終了直後とは違った感想が出てきたり、クラスの関係性が変化していることがあります。</p>
 
 <span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="idegami_03.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/idegami_03.jpg" width="640" height="482" class="mt-image-none" style="" /></span>
 <p>びっしりと書かれた子どもたちの感想。ひとつひとつから、思いを読みとります。</p>
 </span>

<p class="ColumnText">すべてのプログラムが終わった後は、子どもたちはもちろん、そのワークショップに関与した人たちが、体験を共有して、距離がぐんと近くなっています。顔を合わせれば、「あの時はああだった、こうだった」「これはすごかった、あれはもっとできた」と、みんなが語り合っています。こうなれば、もうコーディネーターは必要ありません。みんなの様子を見ながら、次の企画を考えはじめます。こうやって生まれた「幸せな出会い」をどう広げていくことができるか？また、まだ体験したことのない人たちに、どう伝えていけるか...。</p>

<h3>さいごに</h3>

<p class="ColumnText">コーディネーターの仕事、イメージして頂けましたでしょうか。もちろんこれはひとつの例で、いろいろなコーディネートの方法があります。ただ、すべてにおいて言えるのは、コーディネーターが、ワークショップに関わるすべての方に寄り添って気持ちや意見を汲み取り、ひとつのワークショップが成立するまでの全プロセスに関わっているということです。そういう意味では、ワークショップを一番楽しみ、成長していけるのは、誰よりもコーディネーターなのかもしれません。</p>
]]>
        
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    <title>【第3回】大人でも先生でもない</title>
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    <published>2011-07-13T12:44:13Z</published>
    <updated>2011-09-08T07:16:59Z</updated>

    <summary>　僕が学校に滞在するプログラムに臨むときに考えていることの一つに「大人でも先生で...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[<p>　僕が学校に滞在するプログラムに臨むときに考えていることの一つに「大人でも先生でもない存在でいる」ということがあります。自分が大人や先生という立場を取れば、特に学校のなかで出会う子どもたちは身構えて、子供や生徒という立ち位置を取ってしまう方程式ができてしまうのではないかと考えているからです。学校の科目には「美術」や「図工」というものが存在していますが、先生がたに代わって僕が授業をしに行くわけではないと理解していますし、むしろそういった枠を越え、先生がたも巻き込みながらできるのがこういったプログラムやワークショップの意義だと考えています。<br />
　また、僕の滞在には期限があります。先生がたは子どもたちと数年間に及ぶ関わり合いを持つことができますが、半ば旅芸人の僕にはそれができません。わずかな期間しか関われないというのはさみしいことではあるのですが、逆にその短い期間を利用して僕と過ごすひとときを「物語」としようと考えています。ですから、出会いも別れも僕の存在もより衝撃的なほうが楽しいですし、その物語には子どもたちだけでなく、先生がたも登場人物することにできます。先生がたにも一緒に未知の経験をしてほしい。こういったことを考えながら、僕は今までにいくつかの物語の登場人物として今までに「妖精」や「宇宙人」に扮して物語を作ってきました。<br />
<span class="ImageArea"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="" src="http://artists-children.net/column/images/IMG_6492.jpg" width="650" height="471" class="mt-image-none" style="" /></span><br />
</span><br style="clear:both;" /></p>

<p>　2010年の冬に「子どもとアーティストの出逢い」のプログラムで岡山の県境にある雪深い小学校へ行きました。僕は全身毛むくじゃらの「森の妖精」に扮し、通学途中のバスの中から子どもたちが僕を目撃することから物語が始まります。以前下見を兼ねて学校を訪ねたときに、学校が山の中にあることから全校生徒が学校の送迎バスによる通学をしていると言うことを聞かされていたので、慣れた生活に突如として現れる衝撃的な出逢いが物語の導入には持ってこいでした。毎回、こういったプログラムを行うときには、受け入れ先の学校の周辺環境や地域の情報、方針などを収集するのが大切だと考えていますが、コーディネーターの事前情報はとても貴重ですし、実際に現地に赴いて先生方からお話しを伺うことも重要な時間です。僕の場合、予め決まった企画を持ち込むわけではないのでその環境に応じたテーマで物語が決めています。それはそれで労多いのですが、それもまた醍醐味だと感じています。<br />
　岡山の物語では全校生徒二十余名の子どもたちをチーム分けしてソリやチームの衣装を作ってもらい、近くのスキー場で「森の勇者」を決めるレースを行いました。それぞれのチームには先生がたにも加わってもらったのですがソリ作りはいつしか先生がたにとってもプライドを掛けた勝負ごとになり、「早く滑るためには」「安定するには」と時に知恵となり、時に子ども達にダメ出しをされたりもします。また、レースではソリの乗り手になって子どもたちに引っ張ってもらい、転んでしまえば先生だって雪まみれ。みんなで声援を送り、みんなでお腹を抱えて笑います。僕の物語の中では、子どもも先生もみんな一緒の出演者です。レースの最後には妖精の「お尻の毛」で作ったという「毛メダル」が配られました。もちろん子どもたちは「臭いー」とか「汚いー」と喜んでいいのか複雑です。そして僕は別れを告げてそのままスキー場のリフトに乗って山に帰って物語は終わるのです。そしてそれっきり、素顔を見せることもお別れの会はありません。そのほうが子どもたちのこれからの成長の中でより長く、思い出深く、じんわりと「あれは何だったのだろう？」と効いてくると考えているからです。</p>

<p><span class="ImageArea"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="" src="http://artists-children.net/column/images/tano_ufo01.jpg" width="640" height="427" class="mt-image-none" style="" /></span></span><br style="clear:both;" /></p>

<p>　岡山のプログラムより前にも、北海道十勝の小学校で滞在することがありましたが、この時の僕は全身銀タイツの宇宙人役です。宇宙船から落ちてきた「王子」が星に帰るため子どもたちに協力してもらい、迎えに来てもらうためにと僕の星に合図を送る装置を作りました。子どもたちが校庭に出ると全身銀色の僕が校庭に倒れているところから物語は始まります。日差しを浴びて銀色にギラギラと輝き、しばらくのあいだ倒れたままでじっと動かない僕。一人の生徒が僕を足でつついたので、それを見た先生は「足で触らないの！」と叱りましたが、のちに「あれは実は正しい行動だったのでは？」と先生がたとの話し合いに発展しました。見たこともない、ピクリとも動かない銀色の（キモチワルイ）物体を手で触ってみるなんてことのほうがあり得ないのですから。こういった子どもたちの行動を肴にして話し合う先生がたとの時間もとても興味深いひとときです。日本語もままならない宇宙人に純粋な低学年の子どもたちは一生懸命に「食事の前には手を洗うの！」とか「牛乳パックはこう畳むの！」「人の歯ブラシで歯を磨いちゃダメ！」と僕を叱りつけながらも手取り足取り真剣に教えてくれます。僕が大人でも先生でもない無垢な役を演じることで、子どもたちは急に大人ぶってくれたりします。ともに過ごすわずかな時間の中からも子どもたちの成長が垣間見られることもしばしばです。余談ですが最終日にはみんなで作った塔から放たれた炎と花火による合図で、無事に宇宙船（段ボールで改造した軽自動車）が迎えに来てくれたのですが、宇宙船を操縦するお姫様役には事務職員の先生に全身タイツを着て扮してもらいました。</p>

<p>　先生がたをも巻き込んだ僕のこういった「物語」がすぐに子どもたちの何かに役に立つとは思っていません。でも、じんわりじんわりと、そしてふとしたときに思い出し、子どもたちがこれから成長していく「物語」のプロローグになっているかもしれないと期待して止みません。</p>]]>
        
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    <title>【第2回】転校生はアーティスト！？ 〜北海道アーティスト・イン・スクール事業におけるコーディネーションとその重要性について〜</title>
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    <published>2011-05-19T14:42:49Z</published>
    <updated>2011-09-08T07:16:38Z</updated>

    <summary>　もし、学校にアーティストが転校生としてやってきたら、あなたはどう接しますか？友...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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        <![CDATA[　もし、学校にアーティストが転校生としてやってきたら、あなたはどう接しますか？友達になりますか？一緒に何かやりたいと思いますか？それとも、まずは遠くで眺めますか？<br /><br />&nbsp;　現在私は、北海道でアーティスト・イン・スクールという事業を展開し、その全体の企画構成や、アーティストと学校の繋ぎ手となるコーディネーションを行っています。<br />&nbsp;　この事業は、小学校にアーティストを「転校生」として紹介し、空き教室などを利用して作品制作や表現活動をベースに、学校や地域の方々と交流します。<br />&nbsp;　アーティストは転校生ですから、特に講師や先生となって授業を行うということではなく、休み時間や放課後などの自由な時間をつかって子どもたちと交流し、共に創作活動を数週間展開する訳です。
　活動内容は、アーティストが「学校でやってみたいこと！」を軸に構築し、ジャンルも美術、音楽、ダンス、演劇、伝統芸のなどなど多岐にわたります。学校の規模や、地域の環境によって変化する為、どれをとっても同じ形にならないのが、この事業の特徴です。<br /><br />&nbsp;　さてここで、実際の活動をコーディネーターとして大切にしている事柄を含め、ひとつご紹介しましょう。<br />&nbsp;　2010年11月、札幌市立福住小学校を会場に、映像作家の斉藤幹男氏が実施した活動『火星世界旅行』。この活動は、斉藤氏が得意とするアニメーション映像に加え、昔懐かしい特撮の技術や、合成映像を駆使した実際の活動を作るという内容でした。<br />&nbsp;　そもそも授業などとの絡みのない取り組みを、開催にこぎ着けるまでには、障害が多いことも事実ですが、ある程度実績を重ねると、そこで築き上げた人脈を活用して、学校や先生を紹介していただくことで、比較的スムーズに話が進む場合があります。私もここ数年は、先生たちのネットワークで、事業に興味のある学校をご紹介いただき、実施をしてきた経緯があり、この小学校も例外ではありません。<br />&nbsp;　11月初めの全校朝会で、転校生として紹介された斉藤氏は、約２週間学校へ通い、毎日休み時間、図工室をアトリエとして活用しながら、創作活動を行いました。
　ここで大切なのは、出会いのインパクトであり、その演出を学校、アーティスト、コーディネーターでしっかりと考える必要があります。この時は、運良く元々カリキュラムに位置づけられていた１１月初めの全校朝会という節目のタイミングで、アーティストを紹介できたことがその後の取り組みに少なからず影響を与えたと感じています。<br /><br />
<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style=""><img alt="IMG_6917.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/IMG_6917.jpg" class="mt-image-center" style="" height="338" width="450" /></span>
</span>
<br style="clear:both;" />

　さて、実際の活動はというと、一日の中で、休み時間は、中休み、昼休みをあわせても約４０分。放課後の時間を合わせても一時間程度の交流時間しかありません。しかし、授業というある種の制約がない自由な時間で交流することが、子どもたちの積極性や、エネルギーを多いに引き出し、連日、斉藤氏のアトリエは、子どもたちや先生で満員状態。その状況をヒョウヒョウとさばきながら、子どもたちを撮影に参加させていきます。時には、火星人や宇宙の絵を一緒に描いたり、撮影に必要なセットを作ったりもします。<br />&nbsp;　基本的には、ある程度のスケジュールを組むものの、日々変化する状況を踏まえ、アーティストのペースで、やりたいようにやってもらう。何か、問題が起きそうな時は、様子を見ながら教職員の方と相談する。そんなやり取りを学校とアーティストの間に入り日々積み重ねていくことが重要で、コーディネータも常に現場に張り付くことが鉄則です。<br /><br />
<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style=""><img alt="a0062127_1041915.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/a0062127_1041915.jpg" class="mt-image-center" style="" height="300" width="450" /></span>
</span>
<br style="clear:both;" />

<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="a0062127_14124493.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/a0062127_14124493.jpg" class="mt-image-center" style="" height="300" width="450" /></span>
</span>
<br style="clear:both;" />

　また、アーティストは毎日子どもたちと一緒に給食も食べます。これがまた大切な時間で、給食を一緒に食べた後の活動には、決まってそのクラスの子どもたちが活動に興味を持ち続々と参加してきます。一見、創作活動とは関係のない交流の中で、人に興味を持つ子どもたちの感性が刺激される瞬間です。<br />&nbsp;　アーティストの中には、やはりシャイな方もいますから、コーデイネーターも一緒に給食を食べながら、コミュニケーションの促進を図ります。<br /><br />
<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="a0062127_956387.jpg" src="http://artists-children.net/a0062127_956387.jpg" class="mt-image-center" style="" height="300" width="450" /></span>
</span>
<br style="clear:both;" />

　こうなってくると、毎日アトリエに通う子どもも現れ「常連さん」と呼ばれます。そして、常連さんの多いクラスの担任の先生が、「こんなに子どもたちが喜ぶのなら、一度授業で一緒に活動しませんか？」と打診してくれるほどです。<br />&nbsp;　授業との連携は、この活動にとって前提にしてはいませんが、決してマイナスになることはありません。そうした学校からの要望もある程度ポジティブに、柔軟に対応する姿勢をまずは持つことが大切だと考えています。ただし気をつけなくてはならないのが、先生が考える教育目標と、アーティストが目指す目的が、常に合致すとは限らないという点です。あくまでもアーティストが提案する活動の趣旨を先生に理解していただきながら、可能な範囲でできることを考え、両者が納得して取り組めるレベルまで、しっかりと話し合い、調整していく必要があります。<br /><br />
<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="a0062127_11163950.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/a0062127_11163950.jpg" class="mt-image-center" style="" height="300" width="450" /></span>
</span>
<br style="clear:both;" />

<span class="ImageArea"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="a0062127_11482127.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/a0062127_11482127.jpg" class="mt-image-center" style="" height="450" width="300" /></span>
</span>

　<br />子どもたちとの交流に加えて、この活動では、休日に予定されていた保護者主催のイベントにも特設ブースを設け、絵を描いたり、撮影会をしたり、制作中の作品上映し、保護者や地域の方にも制作のプロセスを体感していただきました。<br />&nbsp;　こうした保護者や地域への働きかけは、普段アートに触れることの少ない方々へのアーティストの周知につながることも然ることながら、学校の取り組みや当事業の評価にもつながり、事業終了後の学校の印象が大きく変わるきっかけとなります。その為、学校、アーティストの両者に、積極的に協力を依頼し、計画的に行うべきであると考えています。コーディネーターが、普段から活用している媒体だけでなく、学校独自のネットワークや媒体を通じて段階を追って広報する必要があります。<br /><br />
<span class="ImageArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="a0062127_0351315.jpg" src="http://artists-children.net/column/images/a0062127_0351315.jpg" class="mt-image-center" style="" height="300" width="450" /></span>
</span>
<br style="clear:both;" />


さて、最終的に完成した映像作品は、上映会という形でお披露目しました。今までの活動に積極的に関わってきた子どもたちも、あまり参加していない子どもたちも、「あ！あの子が映ってる！」「うわ〜！」と奇声や歓声をあげながら鑑賞し、大興奮の中、幕を閉じました。<br />&nbsp;　最後の成果発表やお披露目の演出に関しては、やはりアーティストの要望を第一に考え、学校に協力をお願いします。この時点まで来ると、アーティストと学校の関係もかなりできあがってきているので、前例のない仕掛けや取り組みに関しても、交渉次第でOKが出る場合もあります。ここに、学校という環境の潜在力が試される瞬間があり、ある程度大胆な提案も、思い切って投げかけるよう努めています。<br /><br /><br />


この事例からも解るように、そもそもこの事業は、教育やアートの価値や成果を追求するものではではありません。学校が持つ環境にアーティストが介在することで生まれる様々な可能性を追求しながら、学校に地域のあらゆる世代の方々が集い、交流する機会の創出、また地域文化を共有し発信する場として理解され、利用される一つのモデルケースになることを目指しています。<br />&nbsp;　また、教育現場での活動でありながら、授業の形式をとらないことで、活動内容、活動への関わりにおける自由度を向上させ、通常の学校生活では味わうことが難しい創造的且つ刺激的な体験を子どもたちだけではなく、先生、保護者、地域の方々が共有する機会を生み出すことが狙いです。<br />&nbsp;　その為には、学校とアーティストだけではなく、コーディネーターの存在が必要不可欠なのです。その業務は多岐に渡りますが、お互いが持っている目的のギャップや価値観の溝を埋め、繋ぐという実行力を持った存在が、現在、アートや教育現場以外の社会にも求められていると感じています。
<div><br /></div>]]>
        
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    <title>【第1回】アートとの出会い ～『学校化された知』からの解放～</title>
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    <published>2011-03-25T09:00:13Z</published>
    <updated>2011-09-08T07:16:13Z</updated>

    <summary>アートとの出会い ～『学校化された知』からの解放～ 私が最初に申し上げたいことは...</summary>
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        <name>admin</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://artists-children.net/">
        <![CDATA[<h3>アートとの出会い ～『学校化された知』からの解放～</h3>
<p class="ColumnText">私が最初に申し上げたいことは、人は何かを考えようとするとき、同時に別の何かについて考えないようにしているということです。私たちは何もかもを同時に考えることはできません。何かについて考えようとするということは、別のことを考えないようにするということを伴っているのです。人は常になんらかの世界の中で、その世界固有の《身体技法》を身につけます。その世界の中で、ある独特の身体の対応の仕方といったものを知らず知らずのうちに身につけるものなのです。この中で、知ろうとすること、分かろうとすることが選択され、制限され、促進させられるわけです。しかし他方で、知ろうとしないこと、分かろうとしないこと、これもまた選択され、制限され、促進されているということがあります。両方が、まるでコインの裏表のように、ひとつのある世界に入っていくということは、別の世界のことをみないようにする、分からないようにする、知ろうとしないようにするということ。《見ている》ということは、別のことから目を閉じているということを伴うということです。そのことを示すビデオがあります。</p>
<p>【ビデオ映像：チンパンジーに、グミの入った箱の開けるための操作方法を教える。同様に、人間の子どもにもグミの入った箱の開け方を教える。つぎに同じ構造の透明の箱に変える。実は、この箱を開けるには、先ほど教えた操作は必要ない。】</p>
<p class="ColumnText">
チンパンジーは、箱が透明になった段階で、それまでの動作が全部無意味だということを理解して、窓を開けて直接グミを取った。ところが、人の子どもは、透明の箱だからトントンと叩いたり、上から棒をつっついても意味がないということが歴然としているにも関わらず、大人がやった通りの動作を真似る。さらに驚くべきことは、どうぞ好きに取ってくださいと言って、大人が退出して誰もいない状態でも、まったく無意味な儀式のような作業を全部やるんです。</p>
<p class="ColumnText">
  これは、不思議な話しですね。実をいうともっと小さい2歳とか3歳ぐらいの段階ですと人の動作を真似するときに、そっくりそのまま真似をするのではなく、なんでそうするのかなという、行為の意図をちゃんと把握して真似をするんですね。ところが、4〜5歳のくらいになると、意図を真似するのではなく、動作をその通り真似するというようになります。つまり、教えてもらうということへの適応性が生まれ、「やってみせるよ」と言われたとたんに物事の因果関係とか理由を全部遮断して言った通りのことを真似るというスイッチが入るのです。小学校に入るとすぐ、先生の言った通りのこと、たとえば挨拶の仕方もそうですし、手をあげてから質問をするといったマナーや筆箱の中に鉛筆を何本入れるかといったことまで全部、意味を考えることなくその通りに従うというように私たちは向かってしまうんです。<br />
  私が最初に言ったように、私たちは何かを考えようとするとき同時に何かについて考えないようにする、つまり何かを考えようとするときは、大人に言われたこと示したことについて理由を問わないことにするというスイッチが入ってしまいます。これは社会生活の適応ということに対して、人間がつくってきた文化といえば文化です。確かに、さまざまな文化を伝承するときには、ものを考えないでその通りにするということはある意味で非常に重要ですね。でも、そういうことに私たちは自然に向かってしまうということがあります。</p>
<p class="ColumnText">
  私たちは、学校に入ったとたん、そこで物事を知る知り方についての、ある特有の身体技法を身につけてしまう。その身体技法の中では、学校では非常にうまく適応できるし、そして先生もそれをうまく利用する、子ども達もその中でうまく生きていく術を身につけるというようになっていく。いま私たちは、それが本当に良かったのだろうかと問わないといけない時期にきています。</p>
<p class="ColumnText">
  私たちは、学校でものを知るということは、全て勉強を通してなんだと考えるようになっています。勉強で学習するというときは、知識というものにはとにかく文脈は関係なく、どういう場合にはどういう答え方をするんだということを、全部覚えるべきこととして身につける。基礎から応用、展開という順序があるのだから、その順序を飛ばしてはいけないんだと。つまり、教えられなかったら学べない、あるいは競争することによって身につけるということをやっていくんです。物事の意味を問うということは、問題を出す人が考えるのであって、答える人は答え方を知っていれば良い。考えないことを学んでしまうという実体があります。</p>
<p class="ColumnText">
  1987年に横浜市立の小学校3年生から6年生を対象にした調査で「4×8=32という計算の問題をつくってください」と聞いたところ、半数近くの子ども達が全然意味がないんだけれどいかにも文章題っぽい文章をどんどんつくるんです。<br />
「4本のリボンがあります。8人の子どもに分けたいと思います。リボンは何本あればいいでしょうか。」とか、「ある人はみかんを4個を持っています。もうひとりがみかんを8個もっています。このみかんの積を求めなさい。」さすが6年生は積という言葉を使う。「水が4dl入っています。8dlを姉さんが持っています。かけ算をして式を書きなさい。4×8=32です。」こんなのが延々と続くんですね。問いを出されたら答えるものだとばかり思っていて、問いをつくれと言われたら意味を考えない。これは全く考えないということを私たちは学んでいる、学校教育の中で考えることを教えているつもりでいるのは、実は考えないことを教えている、ということが起こっていると言えます。</p>
<h3>―アートと出会うということ</h3>
<p class="ColumnText">ここで、アートと出会うというのはどういうことなんだろうということを私なりに考えたいわけです。</p>
<p class="ColumnText">よくある例は、アーティストはアートを見せる、それを鑑賞する人たちは観客のように眺める、鑑賞する。つまりアーティストとそれを見る側というように、ふたつに分けてしまうのが多いんですね。そうじゃなくて、アートという世界の中に自分も入り込むことによって、物事の勉強的でない知り方を知るという身体技法を経験してみることがアートとの出会いなんだということです。</p>
<p class="ColumnText">
学校は、文字というものに依存する思考を強要する。ものを考えるということは、文字、言葉できちんと正確に表現していくということだという身体技法です。だからさきほど文章題をつくった子ども達も、実に巧みに文章を書きますし、算数の文章題のスタイルはみごとに獲得している。言葉っぽいことをきちんと捉えるということは実にうまくいく。価値を一元的に捉えるとか、物事をカテゴリー的に捉えるとか。ものを捉えるときは客観的でないといけない、しかし誰にとってということは考えなくていいんだという見方ですね。</p>
<p class="ColumnText">
ところが絵画というものは、全体から部分ができていて、さまざまなものへの配慮とか、調和とか、関心というものが埋め込まれている。多元的価値、カテゴリー化できないものや主観というものを大切にするのが、絵的世界。絵的世界に触れるということが実は脱学校的な身体技法になるわけです。</p>
<p class="ColumnText">
私たちはアートと出会うときには、《根源的能動性》というものに従うことになる。つまり自分の中から沸き起こってくるもの、自分の中からなにか変化をつくりたくなることに向き合うことが非常に大事。学校的な身体技法とは、常に外側から行為を指示され、それに従うこと。自分自身で動こうとする根源的な能動性の出発点を大事にするというようなことは許されないという身体になっている。根源的能動性にもう一度戻るということがアートとの出会いの非常に重要な点だと思います。</p>
<p class="ColumnText">
重要なのは、私たちが、アートと出会うというときには、さまざまなものの中に入るという理解をするんだと。そういう物事の世界の中に入るという理解の仕方と、それを外側から眺めてしまうという理解とに違いがあって、眺めてしまうような見方をしているとそれは、学校的ななにかしら表面的なことを真似ていればいいという発想になってしまう。</p>

<h3>―《根源的能動性》とアートの関係</h3>
<p class="ColumnText">
つぎに《根源的能動性》は同時に《根源的受動性》でもあるという、矛盾するようなことをお話しします。
あらゆるものになってみるということは、むしろある意味では受動的なんです。そのことを詩人のジョン・キーツ（John Keats）が、《ネガティブ・ケーパビリティ（Negative capability）》という表現をつかって、物事が本当に真だということがわかるのは、いろんなものになってみるからなんだということを言っている。《想像力が美として把握したものこそが真実》であるに違いないと。「詩人というものはこの世に存在するものの中でもっとも《非私的》なものだ。なぜなら詩人にはアイデンティティがないからだ。詩人は部屋の中に人々と一緒にいるとき、自分の頭の中がつくり出すものについては考えることをしていない。部屋にいる全ての人のアイデンティティが僕に迫って来る。その結果僕はたちまちのうちに無に帰するのだ」と。これはさまざまな世界の中に自分がどんどん入って行く、あるいは世界が自分の中に入って来るとも言えるわけですね。ネガティブ・ケーパビリティ、つまり向こうの世界がこちらの中にどんどんと入って来ることをそのまま受け入れて行く。そして、自分を無にして対象と同一化していく。対象の内部で働く力をそのまま感じ取っていくこと、それが想像力による真実の把握なのだというわけです。真実性の感覚というのは実は
美の感覚だ。さまざまなものの世界の中に自分が入って行く、あるいはさまざまなものが自分の中に入って来るという経験の中で、ああこれが本当なんだということを美という意識と同時に経験されるということ、そういったことを《ネガティブ・ケーパビリティ》と呼んでいるわけです。</p>
<p class="ColumnText">
私たちは、その世界の中にどんどん入り込む力が必要で、それがアートの理解というものです。アートの理解には、《エヴァリュエーション（Evaluation）とアプリシエーション（Appreciation）》のふたつがあります。批評家的にみるのはエヴァリュエーション。静止した絵をみても、彫像をみても、あるいは単なる石ころのようなひとつの固まりをみても、それをある変化の動きの中のひとつの場面としてみる。それがアプリシエーションというもの。私たちには、これってどういうことなのかなと周辺との関係をみるというまなざしもある。するとだんだん鑑賞者的まなざしになるし、そして批評家的まなざしになるわけです。作品を評価するときには、時代背景や他の作品との関連を読んだりするというエヴァリュエーションになる。このようにいったりきたりしながら私たちは世界をみているということです。</p>
<p class="ColumnText">
どちらかというと、学校的な見方はエヴァリュエーションで教えてしまい、一つの場面を一つの解釈で固定してしまう。そこから脱して作品の中に入っていく、登場する世界やものの中に入っていくという理解を学ぶのが脱学校的です。私たちがアートの世界を知るということの一番の基本は、アプリシエーションの波に乗るということです。
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」これは有名な絵ですね。数年前に認知科学の学会誌でこの場面だけを分析した研究がありました。この牛乳を注いでいる注ぎ口は、まさに牛乳を注ぎ終わる寸前のことだということが非常に細かく解析されたものでした。
この絵をひとつの時間の流れの中でみたときに、この人のまなざしや表情にくわえ、つぎにどうするのだろう？ 火にかけようとしているのかな？ と、動きとしてもみえてくるわけです。このように私たちは、自分が動こうとしている能動性というものと同時に、目に入ってくる受動性というものとがそこで同時に出会う。根源的能動性と受動性が同時に出会うというのがアートとの出会いだということです。

<h3>―《アートする》こと、もう一つの知の身体技法</h3>
<p class="ColumnText">
アートは理解するということもまたアートだ。アートとは、動詞だ。《アートする》ことなんだということを最後に申し上げます。
今日の私の決め手の文句としてこれを言おうと思ったんですが、今日の報告を拝見すると、まったくこれを実践されちゃってるんですね。私が言うまでもなく、まさにみなさんの実践は「アートはすることなんだ」と。アートを理解する側とアートをみせるアーティストとが区別なく一体となっている。映像でおじいさんが「あなたもアーティスト、あなたもアーティスト」と言って児童ひとりひとり全員に指差していましたが、それのことなんです。アートというのは、アーティストがすることだけがアートじゃない。アーティストとは、アートすることを広げる人なんです。みる側、アートに感化を受ける側も、アートをみながらそれを理解する側も《アートしている》んだということです。そうしたことに出会うのは、今日私が最初に言った、学校化されていない、勉強的でない知り方、もう一つの身体技法としてのアートとの出会いということです。
ありがとうございました。</p>


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