【第2回】ダンスから教育へ

伊藤キム
コンテンポラリーダンサー

ダンスがつまらなくなった

 いきなり消極的なタイトルですが、これにはワケがあります。それを話す前に、まず私のダンスとの関わりについてお話しします。

 1987年、当時大学生だった私は師である古川あんずの下で踊り始め、90年以降、自身の活動としてソロを踊り、カンパニーを立ち上げ作品を作って国内外でツアーを行い、地方の公共ホールなどに招かれて現地の方たちと作品を作ったりなど、さまざまなダンス活動を行ってきました。
 ところが2004年頃から少しずつ踊ること、創ることに意欲を失い始めてきました。「これじゃイカン」てわけで05年秋から半年間、世界一周の旅に出ました。見知らぬ土地を歩き回ることで刺激を受け、新たな創作意欲につなげよう、という魂胆でした。
 しかしその旅行から帰ってきた私は「ダンスなんかやっている場合じゃない!」とさらに強く思ってしまったのです。
 中国や中央アジア、北アフリカや南米など主に新興国・発展途上国を巡るその旅行で私が見たものは、生活、宗教、歴史、そして何よりも貧困でした。それまでの約20年間のダンスどっぷりな生活では触れてこなかったようなことばかりで、いかに自分が狭い世界にいたのかを痛感したのです。
 そこで私は「これからはダンスや創作の枠をはみ出して、もっと社会全般に関わっていこう」と思い立ったのです。
 まず、自分のダンスカンパニー「伊藤キム+輝く未来」を「輝く未来」と改名し、私本人が創作するのではなく新たに集めた若いメンバーに振付けを託すことから始めました。
 次に、カンパニー以外の活動として教育方面に目を向けました。小学校・中学校・高校・大学などあらゆる学校でワークショップをこれまでよりも積極的に行っていこうと考え、主に以下のような事業に関わってきました。

●06年 横浜市芸術文化振興財団主催の地域の子どもたちを対象にしたイベント「子どもアドベンチャー2006」(ZAIM)で総括アドバイザーを担当
●07年 「トヨタ子どもとアーティストの出会い」の事業で群馬・前橋の中川小学校でワークショップと「ダンスジャック」
●07、08年 横浜市芸術文化振興財団の教育プログラムとして、横浜市内の市立小学校2校でワークショップ
●08年 兵庫・伊丹アイホールの事業で伊丹市立神津小学校でワークショップ
●07、08年 アートフォーラムあざみ野(横浜市)の事業で横浜市内の中学・高校計7校でワークショップと「ダンスジャック」
●09、10年 教鞭をとっている京都造形芸術大学の学外プログラムとして、京都市内や新潟の高校に出向いてのワークショップを年に3回ほど

なぜ「教育」なのか?

 ではなぜ、学校など教育現場でダンスワークショップを行おうと考えたのでしょうか?前回の内容で、私が行うワークショップの内容を紹介しましたが、そこでも明らかなようにワークショップではただ単に音楽に合わせて体を動かすだけではなく、脳ミソも使い感性も試され、人とのコミュニケーションも必要になります。つまりひとりの人間として自らの体を掘り下げそこに立ち向かっていくのがダンスワークショップです。そしてそこでは「思考すること」が要求されます。
 
 ダンスを始めて以来私は、多くの人と関わってきました。プロのダンサー、プロを目指す若者、素人で年配のワークショップ参加者などなど、、、。
 そこで常に感じていたのは「なぜみんな、周りを気にしながら生きているんだろう?」ということでした。本来やりたいことがあるのに、それができない。あるいはやる勇気がない。職場や学校で「これって本当は○○のはずなのになぁ、、、」と思いつつ、周りに流されてそのままウヤムヤにしてしまう。
 なぜこうなるんでしょう? それは「『自分の頭でとことん考え抜く』という作業をしてこなかったからではないか?」と私は考えたのです。自分で必死に考え、自分なりの結論に達して行動に移し、それに責任を持とうとする。そういうプロセスを経てこそ、自分というものに「自信」が生まれると思うのですが、残念なことに小学校以降の教育期間で、私たちはそういう訓練を受けずに育ってしまった。そこで行われるのは、目の前にある課題を「いかにこなすか?」という教育です。その結果、自分の考えや行動に自信が持てず、常に周囲に流されるままに生きるしかなかった。
 私自身も、学校ではそういう教育を受けることなく育ってきました。とことん考えて自分の意見を持つなど、思いもよらないことでした。が、ダンスを通じて、自分を掘り下げ追求し、自分なりの「真理」を見つけ出す経験をしたことで、自分のあり方・生き方に確信が持てるようになったのです。
 それならば、教育の現場でぜひこれを実践してみたい。子供たちに自分の力で自分を発見してもらいたい。そう思ったのです。
 前回「ダンスは体というもっとも身近な道具を使う全人的取り組み」とお話ししました。つまり、世界中の誰もが持ち合わせている体というシンプルな道具で「自分にとって正しいものは何か?」と、探求の旅に出るのが、ダンスワークショップなのです。

 次回は、07~09年にかけて行った横浜市のアートフォーラムあざみ野による試みについて詳しく述べることにします。

伊藤キム

コンテンポラリーダンサー

PHOTO:山口遊

http://kimitoh.com/


振付家・ダンサー。1987年、舞踏家・古川あんずに師事。
90年ソロ活動を開始。95年ダンスカンパニー「伊藤キム+輝く未来」を結成。96年『生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?』でフランス・バニョレ国際振付賞 を受賞。01年『Close the door, open your mouth』および『激しい庭』で、第 一回朝日舞台芸術賞寺山修司賞を受賞。05年「愛地球博」の前夜祭パレードで総 合演出をつとめる。同年、白井剛氏とのデュオ『禁色』(原作・三島由紀夫)を 発表。また劇場作品だけでなく、パブリックスペースの階段を使った『階段主 義』や、学校や美術館などを使った作品も多い。作品では、根源的なテ?マとし て「日常の中の非日常性」を、風刺と独特のユ?モアを交えて表現している。05 年から06年にかけ、バックパックを背負って半年間の世界一周の旅に出る。07年 春より「伊藤キム+輝く未来」から「輝く未来」にカンパニー名称を変え、新た な形態で再始動した。08年横浜文化賞文化・芸術奨励賞受賞。
現在、京都造形芸術大学准教授。