【第1回】ダンスとは遊びである

伊藤キム
コンテンポラリーダンサー

  学校など教育現場で行うダンスワークショップのお話をする前に、「ワークショップの内容と意義」について述べさせていただきます。

Photo : Awane Osamu

 ダンスといっても私の場合、音楽に合わせてステップを踏んだりクルクル回ったりといったようないわゆるダンス的な要素はほとんどありません。じゃあどんな内容か、いくつか例を挙げて紹介しましょう。

~床の上の足跡を探して、そこに自分の足をはめてみる~

 もちろん、床の上に足跡など見えるはずもありません。だから自分で足跡を想定し、そこに右足、今度は別の場所に左足、と片足ずつ置いていくのです。慣れてきたら、「じゃあもう少し遠いところに」とか「リズムを奏でるように」「ブーツを履くように足を高くあげて」などいろいろ注文を出します。そうやって動きのバリエーションを増やしていきます。

~蝶を追う~

 まずここに、自分と、一匹の蝶を設定します。その蝶を追ってみます。ヒラヒラ飛ぶのを眺める。ふっと床の上に舞い降りたので、気づかれないようにそっと近づき、手を差し出してみる。案の定逃げられ、今度は自分の体の周りをグルグル飛び回るので、バタバタと慌てふためく。

~人形~

 2人一組で、1人が相手の体を自由に動かしていろんな形を作ります。両手を持ち上げて万歳のポーズ、四つん這いにさせて動物のような格好と思ったら今度はロダンの『考える人』に、、、この間、動かされている方はただ人形のように「されるがまま」で、相手の思うように体の形を作り変えられます。動かす方は彫刻家になったつもりで、自由に形を作っていきます。

 このように、あるイメージのもとに遊びながら体を動かす、という手法でどんどん動きを紡ぎ出していきます。ここで必要とされるのは、次のようなものです。

「発想力」
 シンプルなテーマを出発点として、そこからいかに新しいアイデアを見つけ出すか? そのための柔軟な発想が大事です。

「実現力」
 アイデアを見つけるだけでは形になりません。それを実行するだけのわずかばかりの技術と実行力が必要です。

「応用力」
 そうして実現させた動きをさらに次のステップに移していくためには応用が求められます。それが新たな展開を生みます。

「コミュニケーション力」
 このような作業を自分一人ではなく、他の人との共同作業を通じて行う場合もあります。当然、相手の考えや動きをいかに読み取るか?いかに自分のアイデアをその人に伝えるか?ということが試されます。

 この4つの「力」は、必ずしもこの順番である必要はありません。いちいち考えて動くのではなく、まず動いてみてその後で「この動きは何だったんだろう?」とあとから探ることも大事です。演繹法と帰納法、どちらも有効な方法です。

 ちょっと難しく書いたので、ハードルが高いように感じられるかもしれません。でも、こういう作業を「遊びながら」進めていくので、たいていの参加者は「難しいけど、面白い」と感想を述べてくれます。「体が固いから心配だ」とか「リズム感ないしなぁ」と不安になっている自分を、遊ぶことを通じて徐々に開いていく。体が開けば、心も開いていくのです。

 つまり「体を動かすは体を動かすのみにあらず」なのです。そこでは、感性や探求力など私たち人間に必要とされるあらゆる力が必要とされます。自分の持てるものを総動員してこそ、どこかから借りてきたものでも誰のマネでもない、「自分にしかない動き、私だけの体」が発見できるのです。
 
 そのような全人的な取り組みを、絵筆でも自転車でもパソコンでもない、体というもっとも身近な道具を使って行うのが、ダンスなのです。

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 次回は、私がダンスの創作を経て教育現場でワークショップをするに至った経緯をお話しします。

伊藤キム

コンテンポラリーダンサー

PHOTO:山口遊

http://kimitoh.com/


振付家・ダンサー。1987年、舞踏家・古川あんずに師事。
90年ソロ活動を開始。95年ダンスカンパニー「伊藤キム+輝く未来」を結成。96年『生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?』でフランス・バニョレ国際振付賞 を受賞。01年『Close the door, open your mouth』および『激しい庭』で、第 一回朝日舞台芸術賞寺山修司賞を受賞。05年「愛地球博」の前夜祭パレードで総 合演出をつとめる。同年、白井剛氏とのデュオ『禁色』(原作・三島由紀夫)を 発表。また劇場作品だけでなく、パブリックスペースの階段を使った『階段主 義』や、学校や美術館などを使った作品も多い。作品では、根源的なテ?マとし て「日常の中の非日常性」を、風刺と独特のユ?モアを交えて表現している。05 年から06年にかけ、バックパックを背負って半年間の世界一周の旅に出る。07年 春より「伊藤キム+輝く未来」から「輝く未来」にカンパニー名称を変え、新た な形態で再始動した。08年横浜文化賞文化・芸術奨励賞受賞。
現在、京都造形芸術大学准教授。